縄文時代の地図を手掛かりに街を歩き回り、土地の記憶と文化的基層へ分け入って行く「アースダイビング」なる試み。発案・提唱者である中沢新一先生は、東京に続く舞台に大阪を選んだ。その強力な道先案内人となるのが、宗教から文化まで大阪の成り立ちを知り尽くした釈徹宗先生。ナカノシマ大学4月講座のテーマは、2人の顔合わせによる「大阪アースダイバーへの道」。上町台地の突端、大阪城を目の前に繰り広げられた刺激的な対話は、歴史・民俗・宗教・思想・経済…と自在に広がり大阪人自身も気付かずにいる街や文化の深層へと、400人の受講生たちをいざなった。
大阪は内側から街を造り変えてきた唯一の都市。
アースダイビングの発想の原点は、中沢先生が東京を歩くうち、川筋に点在する無数の神社や祠に気付いたこと。それらを地図に落としていくと、現在より50mも水位が高かった縄文海進期の海と陸地の境目に並んだ。かつて岬の突端だった高台には権力者の墳墓、時代が下れば城などができていく。岬の付け根の斜面地には庶民が築いた横穴の墓。そこは「モリ(森)」と呼ばれる死者埋葬の地となり、宗教施設が集まっていった。
「東京という街は、今もこの縄文時代の地形をほとんど壊さずにできている。自在に改変・造成できるのが都市だとするなら、表面に古代の記憶がべったり貼り付いた東京は、都市とは呼べない。ある意味、田舎なんです」というのが、アースダイビングによって中沢先生があぶり出した東京の深層。最近人気の「パワースポット」も、古代の聖地とピッタリ重なるんだとか。
では、次なる舞台を大阪に定めた理由は何だろう。「なぜ京都や奈良でなく、大阪なのか」と問う釈先生に答えて、中沢先生は語る。「大阪は、京都や奈良のような最初からの計画都市とは違い、時代ごとに内側からダイナミックに街を造り変えてきた日本で唯一の都市。大阪を調べることには現代性があるし、未来的でもある」。実は、学生の頃からしょっちゅう大阪へ来ては、ミナミ一帯を歩いていたという中沢先生。文学から江戸時代の商人哲学まで、大阪の育んだ文化には並々ならぬ親近感を抱いているそうだ。
形状記憶都市・大阪の文化が日本に新しい道を開く?
手始めとして、2人は昨年の夏、上町台地とその周辺を歩いた。猪飼野、今里、桃谷。生國魂神社に四天王寺に合邦辻。新世界や飛田新地…。「中沢先生は有名なお寺や遺跡より、名もない祠や怪しげな路地でよく立ち止まり、写真を撮っていた。土地に蓄積されたすべての生と死を足の裏に感じながら歩くことを楽しんでいるようでした」とは釈先生の感想だ。
一方、中沢先生は一つの発見をしたという。「宗教都市、軍事都市、商業都市…と、大阪は自在に改変を重ねてきたけれども、根本部分のトポロジー(位相)は変わっていない。そのありように都市性を感じるんです」。表層は変わっても、通底する本質は不変。いわば“形状記憶都市”であるという指摘だ。
こうした大阪独自の文化や価値観は、今後の日本に新しい道を拓く可能性があるのに、今は大阪の人や街自身がそれを忘れつつあるのではないか? というのが、2人に共通する問題意識。だとすれば、意識的に取り戻していく必要がある。これから本格的に始まるアースダイバー大阪編が、大きなヒントになることは間違いない。ちなみに、今後歩いてみたい場所として、中沢先生は河内平野や生駒山周辺を挙げた。「ぜひ大阪の人たちと一緒に進めていきたい」という。